怒りという美味を

日報

最近のテレビを見ると,みんな怒っている。

政府に怒り,政治家に怒り,感染拡大に怒り,医療に怒り,福祉に怒っている。

怒りというのは美味だ。

一度その味を知ってしまうと,もっと食べたくなってしまう。

塩という美味

美味いものといえば,こんな逸話がある。

家康が家臣たちと談笑をした時に「およそ食べ物のうちで、うまいものとはどんなものか」と尋ねた。梶(英勝院)は「それは塩です」と答えた。「塩ほど調法で、うまいものはありますまい」という意外な理由に一同が感心した。「では一番不味いものは何か」と梶に尋ねると、彼女は迷わずに「それも塩です。どれほど美味しきものでも、塩味が過ぎれば食べられません」と答えたという。

wikipedia「英勝院」の項目より

塩は美味である。

美味であるが,身体を蝕む毒でもある。

以前見たテレビの話ではあるが,

森林の奥に,狩猟生活を送る人々がいた。

彼らは狩猟した動物をそのまま焼いて食べていた。

ところが現金を作るために,町に出て出稼ぎをする必要が出てきた。

町で働きながら,塩で味付けした料理に慣れると,彼らはあっという間に高血圧になった。

高血圧になるという意味では,怒りと塩は似ているかもしれない。

怒りのない食事は味気ない

塩は美味であるが,身体を蝕む毒である。できればあまり摂りたくない。

(ちなみに野生動物も年に1回くらい,岩塩をなめているらしい。)

しかし,今になって塩を使わない食生活には戻れない。

もう現代人は怒りという感情を手放せなくなってきている。

ドラマもワイドショーもニュースも,感情を揺さぶる。怒りを呼び起こす。

感情を揺さぶらないとビジネスにならないからだ。

6秒ルールという言葉がある。怒りは6秒以上我慢すれば継続しない,ということらしい。

6秒我慢できるだろうか。6秒我慢できないから,怒りが収まらないのだ。

ポテトチップスうすしお味を1枚だけ食べて,残りをすべて捨てられるだろうか。

6秒ルールを必要としている人が,6秒ルールを活用できないのはそういうことだ。

システマは怒りを手放す

システマのトレーニングは怒りを手放す。

例えば,50回プッシュアップをするトレーニングがあるとする。

50回プッシュアップをするととても疲れる。辛い,手が痛くなる。

さあ,そこで怒ったとする。怒ると何か良いことがあるのか? ない。

そう,怒っても何もいいことはない,ということをシステマでは学ぶのだ。

普段の生活であれば,自分が怒ると周りに影響が出る。

怒ると自分のワガママが通るかもしれない。慰めてくれる人が現れるかもしれない。

そうすると脳は怒りを美味しいものだと認識する。経験が蓄積していくのだ。

ところがシステマをしている人はそんなことをしない。

怒りが無意味だと知っているから。

怒りでワガママを通そうとするには子どもだと知っているから。

それよりも黙ってプッシュアップをする人が強いと知っているから。

それでもあなたは怒りを味わうのか

怒りは美味だ。

怒りの美味さは脳を麻痺させる。

「私はそんなに怒りません。」という人もいるかもしれない。

「あの時,こうやって言い返していれば…。」という経験はないだろうか。

それは怒りの経験を追体験しているのだ。口の中で飴玉を転がすように,怒りを味わっている。

怒りの美味を味わいながら,自分自身をズタボロに傷つけている。

傷つきながら,怒りを手放したいといいながら,怒りを味わい続けている。

何度でも言う。怒りは美味なのだ。

それを手放す必要がある。甘い飴玉を吐き捨てるしかない。

そうした時,本当にあなたは自由に生きることが出来る。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました